但馬CULTURE VOL.3 但馬とコウノトリ


かつては日本のあちこちで生息していたコウノトリ。1971年に日本の自然界から姿を消しました。豊岡市は国内最後の生息地。40年に及ぶ人工飼育を経て、再び但馬の空を舞っています。試験放鳥から節目の10年。昨年は海を渡り、海外へと羽ばたいたコウノトリ。但馬とコウノトリ昔と今をたどります。

― 「害鳥」と呼ばれた鳥、これまでの歴史を巡る

 明治維新頃までコウノトリは日本の各地に住んでいましたが、近代化が進むにつれて、乱獲されて急に少なくなり姿を消していきました。明治25年に保護の勅令が出され、明治27年狩猟法が公布され、ようやく法によって保護されることになりました。大正10年、旧出石町桜尾にある鶴山のコウノトリが天然記念物に指定され、コウノトリ黄金時代となりました。

 しかし、水田でエサをついばむコウノトリは、大きな足で苗を踏み荒らしたりするなど、農家の人々にあまりよい印象を持たれず、害鳥とされることもありました。太平洋戦争で国有林の鶴山の松が伐採され、食糧増産のためにと水田に来るコウノトリを追い払ったため、但馬のコウノトリは四散してしまいました。

 昭和26年、旧八鹿町浅間にコウノトリの巣ごもりを発見。天然記念物の指定が鶴山より浅間へと変更されました。この頃からコウノトリは豊岡市周辺に移動を始め、昭和28年、天然記念物の指定を「棲息地」から「種」へと切り替え、全国的に保護されることになりました。

 昭和31年、天然記念物が「特別天然記念物」へと変更されましたが、繁殖する個体はなく、昭和34年に豊岡市福田でヒナがかえったのを最後に、年々その数は減る一方でした。昭和40年に全国唯一の専門施設「コウノトリ保護増殖センター」が豊岡市に誕生し、人工飼育に踏み切りましたが、昭和46年、豊岡市百合地の人工巣塔にいた野生最後の1羽が死亡。とうとう日本のコウノトリは絶滅してしまいました。

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― 自然放鳥までの軌跡

 国内最後の野生のコウノトリの生息地となった豊岡市。「コウノトリ保護増殖センター」では、管理人の松島興治郎さんを中心に、捕獲したコウノトリの繁殖に懸命な努力がなされていました。松島さんはセンターができたと同時に管理人に就任。その日から飼育場に24時間住み込み、繁殖と飼育に情熱を注いできた人物。誰もよりもコウノトリの生態を知る人間でした。

 しかし、捕獲したコウノトリは、卵を産むもののヒナがかえることはなく、時間だけがいたずらに過ぎていきました。そんな受難な時代が続いた保護課活動に、昭和60年、転機が訪れます。旧ソ連から6羽の幼鳥が贈られ、その4年後、待望のヒナが誕生したのです。

 センターができてから24年目の朗報でしたが、そこからさらなる試練が始まります。毎年、繁殖に成功しますが、肝心の飼育数は増えていきませんでした。野外への自然放鳥までは飼育数が100羽に達することが目安。コウノトリの繁殖・飼育は世界でも初めての試みであり、当然、マニュアルはなく、すべてが未知の領域でした。当時の専門飼育員はこう振り返っています。

 「当初はねずみ算式に増えていくだろうと思っていましたが、実際にやってみると苦難の連続。特にペアリングは難しく、うまくいった方法が必ず全ての鳥に当てはまることがなかったです。まさに試行錯誤の連続でした。」

平成17年9月、コウノトリ野生復帰の第一歩として、ついに5羽のコウノトリが野外へ世界初の試験放鳥。4世紀半かかったヒナ誕生から飼育数100羽到達まで13年、さらに放鳥まで3年の時がかかりました。箱の中から放たれ、気持ちよさそうに大空を舞うコウノトリ。人と自然が共生する「コウノトリ野生復帰プロジェクト」が大きな第一歩を踏み出した瞬間でした。

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― コウノトリと共に生きる

  試験放鳥から 10年。人とコウノトリが共生するには、これからもさまざまな工夫が必要です。コウノトリと共に生きるということは、環境に配慮したまちづくりを行うこと。そこに住む人々の暮らし方も考えなければなりません。何十年、何百年とか かる壮大な計画ですが、コウノトリを羅針盤として、但馬の人々の環境に対する意識は確実に変わりました。

 「コウノトリ育む農法」で作られたお米は、コウノトリと共生するまちづくりの文化として定着しています。「コウノトリ育むお米」と言えば、農薬や化学肥料を極力減らして、有機栽培で作られたお米とイメージする人が多いはず。しかし、そこには自分たちが住む環境を見つめ直す大きなヒントが隠されています。

 育むお米作りのコンセプトは「お米と生き物を同時に作ること」。安全・安心なお米を作ることはもちろん、多様な生き物が増えるような工夫がされていま す。無農薬・減農薬・有機栽培といった従来の価値に加え、「生き物を育む」と言う新しい付加価値を持ったお米なのです。

 「コウノトリの育む農法」の大きな特徴は、なんといっても水の管理。冬でも田んぼに水を張って、コウノトリの餌となる生きものを育 てています。通常6月に行われる中干し(水を抜いて田んぼを乾かす)作業も、オタマジャクシがカエルに、ヤゴがトンボになるまで延期。田んぼはなるべく湿 田の状態を保つようにしています。さらに、田んぼと水路には生きものが行き来しやすいように魚道を設置し、「生きものを増やす」という明確な意志のもとで 作られています。また、最近では「コウノトリの育むお米」や「コウノトリの育む農法」を使用した商品開発も積極的に行われていま す。


― 10年の時を超えて、全国へ、そして世界へ

 今年(2015年9月)で、最初の放鳥から10年を迎えたコウノトリの野生復帰プロジェクト。豊岡で始まった放鳥は、但馬各地へと広がり、野生の個体群が復活しつつあります。最近では長距離移動も広く確認され、試験放鳥以来、豊岡から飛び立ったコウノトリが、全国39府県257市町村で確認されていることが分かりました。遠く滋賀県や岐阜県、埼玉県、茨城県と全国各地の大空をかけ回っています。

 さらに昨年には初めて国境を越えて韓国へと渡り、世界へと羽ばたき始めました。今年の9月には、コウノトリを贈るなど技術協力していたその韓国で初めて放鳥を実施。コウノトリの野生復帰の想いは、世界へと着実に広がりを見せています。

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LINK UP 但馬とコウノトリ

■兵庫県立コウノトリの郷公園
[所]兵庫県豊岡市祥雲寺字二ヶ谷128 [時]9〜17時[休]月曜日[問]0796-23-5666
(HP)http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/

 

 

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