但馬CULTURE VOL.87 レトロな町並み広がる 旧街道 《朝来市》


旧国道9号沿いに発展した兵庫県朝来市山東町矢名瀬町(やなせまち)は、国道9号と427号が交差し絶え間なく車が行きかう流れのその向こうに位置します。

周囲に濃い緑が生い茂る山々、涼しげに流れる柴川が見受けられるこの町は、山陰街道の分岐点になっていたことから江戸時代には参勤交代に向かう大名行列が休息の地として本陣を構え、要所としていた場所です。

―2つの街道の出入り口で栄えた町

但馬から遠阪峠を越えて丹波を通り京都・奈良へと続く「山陰表街道」と、矢名瀬町を起点に夜久野峠を越えて京都亀岡へと向かう「山陰裏街道」。

昔からこの2つの街道の出入り口に位置していた矢名瀬町は、商店街や宿、酒蔵などが集まっていたことから人が行き来することが多い土地柄でした。

その様子を見ることのできる通り(旧国道9号)は、国道427号を一本中道に入って北へ、木造の趣のある民家沿いをしばらく歩いていると現れます。

途中、所々に設置されているモダンで細かな装飾の街灯がなんともおしゃれです。

昭和30年代に現在の位置に改修されるまで主要道路で、かつては西国巡礼者が姫路の書写山圓教寺から天橋立成相寺を目指して歩いた「なりあい道」の分岐点にもなっていました。

人の営みを感じ取れるのは建造物だけでなく「京へも大阪へも通したらんぞ」という言葉でも表されています。

この言葉は追い剥が出ると噂をされる山陰街道の峠を前に、訪れた旅人がこの土地で一夜を明かしていたことから来ています。当時はそのことを冗談や皮肉も交えてこのような独自の捨てセリフが使われていたと伝えられています。

―華やかな旧街道の面影

一瞬「迷い込んだかな」と思ってしまうこの場所は、商店街通りです。

生活に必要なものなら何でも揃っていたことから「山東の銀座」とも呼ばれていたそうです。

ちょうど「天野商店」の前を通る道を曲がると国道427号へつながるようになっています。

昭和の映画のポスターや電化製品、年代物のおもちゃが飾られた華やかな一角で、お店の外壁は味わい深く、あたたかで奇跡的な町並みです。

時代と共に駄菓子屋、呉服、医院、旅館、パチンコ屋や映画館など様々なサービスを提供する商店が増え、その数は道の山沿い側だけでも70店舗以上あったそうです。

大名行列が本陣を置いていたという「矢名瀬陣屋」は、空き家になっていたところを改修し、現在は地域の井戸端会議場、こども見守りステーションとなっています。

町の見どころはまだまだ続きます。

―商人の町並み

商店街を抜けて磯部川に架かる朝日橋を渡ると、そこにはこれまでと一線を置く景色が広がります。

一目見てすぐ何か特別な場所だとわかるこの立派な家屋は、江戸時代に創業された造り酒屋・「田治米酒造」の所有物です。

「田治米酒造」の壁の前、三叉路には梁瀬村道路元標が立っています。
山陰表街道と山陰裏街道との分岐点であることを示す標識で、今でもここで人々の往来を見守っています。

三叉路をさらに北へ進むと、江戸時代創業の「此の友酒造」が見えます。

たくさんあった酒蔵は現在、「田治米酒造」と「此の友酒造」の2社のみですが、いずれも但馬杜氏の伝統を受け継ぎ、今日も人々に愛される地酒を造り続けています。

昔は、磯部川を挟んで川原町側(商店街の方)で醤油も造られていたそうです。

この辺りでは新酒ができた時に新しくする杉玉が見られます。
吊るしておくことでお酒の熟成具合を知らせるシンボルです。

豪商のようなお金を持った家によく設置されているうだつ(※1)などが見えるのもこの土地ならではの風景です。

訪れた際は、見つけてみてくださいね。

(※1)うだつ…防火壁のこと。裕福さの象徴ともされ、「うだつが上がらない」の語源とされる。

―時間旅行へ出かけよう

江戸、大正、昭和、そして今を行き来しているような気分になれ、観光スポットにもなっている矢名瀬町。

宿場町として、商店街として、時代と共に多くの人が集い行き交った山陰街道分岐点ならではの魅力がぎゅっと詰まっています。

今でもこうした景観に出会えるのは、住民の方が思いを込め綺麗に管理されているおかげでもあります。

ぜひ一度訪れ、ここに流れる空気と貴重な景観の数々に感謝しつつ、時間旅行のひとときをお楽しみください。

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■梁瀬地域自治協議会
[所]兵庫県朝来市山東町楽音寺95
(朝来市山東支所2F)
[TEL]079-676-4701

 

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