但馬CULTURE VOL.82 但馬養蚕業の先駆者 上垣守国ゆかりの地


古くから養蚕が盛んだった兵庫県養父市には、明治の近代化により機械製糸業が隆盛を極めた大屋町蔵垣の集落があります。

優良な繭の生産地であった同市は、グンゼ株式会社の大規模な製糸工場が建てられ、西日本の養蚕の中心地域となったほどでした。

―先駆者の存在と海を渡った書物

市で養蚕製糸業の礎を築いたのが「上垣守国(うえがき もりくに)」という人物でした。

江戸中期の養父市大屋町蔵垣に生まれ、貧しい農家の暮らしを豊かにしたいと、18歳の時、先進地であった陸奥国 (むつのくに)伊達郡福島に渡ったそうです。

彼は蚕飼いの高い技術(蚕の餌となる桑の栽培、蚕の飼育、繭の生産といった一連の作業)と、それに必要な新しい蚕種(さんしゅ※蚕の卵のこと)を但馬・丹後に広め、質のよい繭づくりの普及に生涯を尽くしたと言います。

中でも、享和3年(1803)に著した『養蚕秘録-ようざんひろく-』は養蚕の技術書として人々に愛読され、オランダの命令で貿易のため日本に来たシーボルトも母国に持ち帰った技術書と言われています。

その後、フランス語訳され、ヨーロッパの技術改良にも貢献し、日本の技術輸出第1号とも言われています。

―広がる軌跡・息づく文化

実績は後に地元を養蚕業の聖地とも呼べる場所へと変えていきました。

集落の中央に位置する「蔵垣かいこの里公園」には、記念館をはじめ、「かいこの里交流施設」や「飼育所」など、守国や養蚕にまつわる場所が点在するようになったのです。

施設周辺以外にも蚕の餌になっていた桑の葉畑、高台には集落を見守るように建つ彼の墓所などを見ることができます。

―当時の暮らしや歴史を知る

昭和40年代頃まで行われていた養蚕は、最盛期には良質な繭を作るため蚕を育てるという作業を年4~5回行っていたそうです。

そのため集落を歩いていると、抜気(ばっき)と言われる換気口を備えられた、この地域特有の中3階建ての養蚕住宅を見ることができます。

なかでも平成7年に偉業を称え開館した記念館は、昭和初期のその農家住宅を復元したものにあたります。

守国の著書をはじめ、当時の養蚕農家の暮らしを忠実に再現した施設になっています。

生糸や繭、養蚕に関する書物や蚕具、農林用具などの資料のほかに

建物の上の階には蚕室が存在し、蚕が繭を作るための「まぶし」と言われる格子状の器のような道具も見ることができます。

―あの頃の面影と現在

人と産業が一体となって共生する暮らしは、今もいろんな形で大切にされています。

例えば、守国は世界遺産となった群馬県の富岡製糸場の地域でもよく知られているそうです。

彼の教えが普及したフランスの製糸技術が富岡に持ち込まれたこともあり、視察に行った際はお礼を言われるぐらい尊敬されているのだと施設の方は言います。

蚕は ”おかいこさん ” と呼ばれ、家族同様に暮らしており、頭、2頭と数えられていたそうです。

その扱いは農宝であった牛と同じだったそうで、蚕の飼育に合わせて、2階・3階は外気から守るため、柱や梁の隙間を埋める大壁で作られていたとされています。

守国が遺した『養蚕秘録』の本には技術だけでなく、こういった蚕を飼う心持ちも記されているそうです。

その蚕を思いやった文化は施設と共に今もしっかりと根付いています。

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■やぶ市観光協会
[所]兵庫県養父市八鹿町高柳241-1
[問]079-663-1515
(HP)https://www.yabu-kankou.jp/sightseeing/kaikonosato
関連サイト
■養父市役所
(HP)https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/kyoiku_somu/kinenkan/2/index.html
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