但馬CULTURE VOL.77 「春よ来い」と待ちわびる峠 春来峠


「牛の背に 我も乗せずや 草刈女 春来三里は あふ人もなし」。これは1903年、新温泉町生まれの歌人 前田純孝(すみたか)が東京からの帰省途中に詠んだ短歌です。山陰道として人々が行き交った「春来峠」の険しさを詠みました。

―旅人泣かせの難所

春来峠は、兵庫県美方郡香美町の村岡区から、新温泉町にある湯村温泉をへて鳥取県へと続く標高400メートルの峠です。古代より山陰道の難所として知られており、つづら折りの坂道が続きます。冬は3メートルも雪が積もることもありましたが、当時は峠を越すには歩くしか方法はありませんでした。旅人泣かせの峠であったと言います。

その峠のてっぺんにあるのが春来地区です。椿原を切り開いて村を作ったと言われ、かつては「椿村」と呼ばれていました。厳しい冬を耐えて、「春よ早く来い」と村人が待ちわびたことから、「椿」が「春来(木)」と転じて、地名になったと言われています。

―峠から望む美しい稜線

律令時代に山陰道が整備されると、春来は人々の往来する街道筋として栄えました。馬を休ませる「馬場」や、「番茶屋」「元庄屋」などの屋号は、現在も使われています。

集落の北側を望むと山々の峰が連なり、秋には雲海が見えることも。春来は間道の要と言える場所で、東西南北の集落に通じる抜け道が各尾根筋に走っています。稜線がひと際美しい標高562メートルの「城ヶ山」は、村の象徴的な存在です。鎌倉末期から南北朝期の築城とされる砦跡で、「子授かりの聖天さん」と呼ばれる昇天像が祀られています。

―交通の要として

地区は孤立しているように見えますが、他の集落からの出入りが多く交流も盛んでした。峠道は昭和初期に国道9号として大改修され、車が通る幹線道路として賑わいました。戦後は7百人近い人が住んでおり、1日6千台もの交通量がありました。

1975年に春来トンネルが開通し峠が県道に変わると、村は静かな山里となりました。現在は有名蕎麦屋が店を構えており、人気スポットとして人を集めています。昔からの山陰道の面影を残す歴史の通り道、春来地区。人々が生きてきた証が感じられます。

LINK UP 「春よ来い」と待ちわびる峠 春来峠

■そば処 春来てっぺん
[所]兵庫県美方郡新温泉町春来1318
[問]0796-92-2770
[時]10:30-16:00(15:30L.O)
[休]水曜日
(HP)https://www.harukiteppen.com/
PICKUP