鎌倉時代から八木氏15代が栄えた兵庫県養父市八鹿町八木。周辺はかつて八木城下町として賑わいました。今でもその痕跡はまちに刻まれ、歴史を辿ることができます。
―交通の要所 養耆(やぎ)
八木の歴史は古く、昔は「養耆(やぎ)」と書き記されていました。古来より但馬と因幡を結ぶ交通の要所で、今も山陰道が家々を縫うように残っています。
古くは人々がこの道を辿り、伊勢参りに向かったのでしょう。路地の角には「妙見」と書かれた石の道標が残されています。
―城下町特有の道筋
町並みは城下町特有の「折れ」や「クランク」があり、まっすぐな道は続きません。格子戸やうだつのある家々が、城下町の面影の色を強めています。
八木城城主の八木豊信が降伏し、豊臣秀吉が別所重棟を入れ八木藩をおいたのは1585年のことです。城跡は1997年に国史跡に指定されました。現在も石垣が残り、当時を彷彿とさせています。
―活気ある市場
また同地は「八木市場」として交易の中心地でもありました。市場の東西にあった2軒の旅館は、市の開かれる日には満員になったといいます。
戦後までは、竹細工など手に職を持つ技術屋がたくさん住んでいたそうですが、今はその面影はありません。しかし、うだつの上がった家からは当時の繁栄ぶりが伺えます。
―八木城主の思い
「宮古にて ながめし雲はきえはてて 花の八重立山さくらかな」。500年ほど昔、八木城主の八木宗頼が人生を振り返って詠んだ歌です。かつては足利義政の花見にも出席した八木宗頼。八木の殿屋敷から見る山さくらは、どのように映ったのでしょうか。ただ思いを馳せるばかりです。
LINK UP 養父市 八木城下町
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