但馬CULTURE VOL.61 養父の太郎左衛門(たろうざえもん)


兵庫県養父市薮崎(やぶさき)の願入寺(がんにゅうじ)には、ある供養塔があります。その主は太郎左衛門。羽柴秀吉の但馬平定で活躍し、円山川の渡河を助けた農民です。

―時は戦国

時は1580年、戦国時代。天下統一を進める織田信長の命を受けた羽柴秀吉は弟・秀長に但馬平定を命じました。諸城を攻略平定した羽柴秀長は、出石城主に任命されました。

―破格の恩賞

この時、秀長は功績のあった領内の農民6人に褒美を与えます。その褒美とは、鮎をとる税金を免除し円山川の鮎を自由にとる免許状でした。この頃から鮎取りが盛んだったようです。

その中でも太郎左衛門には鮎取りの免許状ではなく、土地にかかる税金の一部を免除する諸公事免除の書状が与えられました。これは他の人たちと比べ、格段に高い恩賞になります。出石藩は明治維新まで約280年間も税金を免除しました。それほどまでの恩賞を与えられるなんて、太郎左衛門はどんな手柄を立てたのでしょうか。

―円山川を渡れ

当時、但馬の北部を攻めるにあたって、円山川を渡ることは大変重要なポイントでした。羽柴秀長は円山川を渡るために川舟を多数集め、また多くの兵たちを運んでくれる船頭も必要だったことでしょう。

養父の太郎左衛門ほか8人は、増水した円山川で困っていた羽柴軍を、船で対岸まで運んだという逸話が残っています。

―今でも残る感謝の証

薮崎区では、太郎左衛門の功績を後世へ伝えるべく、羽柴秀長の恩賞に感謝する「太閤祭(たいこうさい)」を例年9月に行ないます。供養塔は二段の台座の上に高さ150cmの立派な石材で作られており、隣には恩賞の文字を書いた顕彰碑もあります。

天下統一の足がかりを支えた太郎左衛門の行いは、今でも讃えられています。

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■願入寺
[所]美方郡養父市薮崎1244
(HP) 養父の太郎左衛門

 

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