但馬CULTURE VOL.59 中瀬(なかぜ)金山 金山町を歩く


日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」にも名を連ねる「中瀬金山」をもつ、兵庫県養父市中瀬。約450年の歴史を誇る金山町の面影を辿ります。

―歴史ある金山町

1573年、鳥取県から訪れた旅人が八木川河畔で砂金を見つけたことから、中瀬金山の歴史が始まりました。江戸時代に「中瀬金山町」と称され、近畿で最大の金山町として開発されました。町境の3カ所に関所(門口)が置かれ、商人が通る際には通行手形や運上金(税金)が必要だったといいます。

「鉱山都市でありながら、総構えと呼ばれる城郭都市の姿を持った町なんですよ」とは、中瀬金山会の有本正彦さん。竹田城や八木城の城下町と似たような構えであり、町割は当時から変わっていません。

―日本一美しい自然金

寛永年間には空き地がないほど家が建ち並び、米蔵が5カ所もあったそうです。旧養父郡・朝来郡の各村から運んでも米が足りず、鳥取から買い入れをするほどでした。

江戸中期以降は湧水の処理に苦慮し、長らく休眠状態が続きましたが、明治維新後に皇室財産となりました。その後、中瀬鉱山は民間に払い下げられ、1935年には日本精鉱株式会社が経営を開始。日本一美麗な自然金が大量に出る鉱山として再び脚光を浴びると同時に、アンチモンの産出でも国内有数の規模を誇ったそうです。

―近代的鉱山

「大屋口には社宅や銭湯があり、パチンコなどの娯楽施設もありました。週末には映画の上映があり、賑やかなものでした」と、中瀬金山会の太田垣忠雄会長。1969年に採掘を終えましたが、国内屈指のアンチモン製錬の技術は残っています。

現在は輸入した材料から、国内生産の80%のアンチモン製品(触媒や減摩材、ガラス清澄剤など)を製造。今も現役の製錬工場として日本の産業を支えています。

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■中瀬金山関所(トロッコ広場)
[所]養父市中瀬896-10
[問]0796-26-3676(鉱石の道推進協議会)
(HP)https://koseki-michi.com/

 

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