江戸時代の中頃から昭和初期にかけて、神社仏閣に数々の彫り物作品を残した名彫物師集団がいます。彼らは中井権次一統と呼ばれ、但馬にも多くの作品を残しました。
―中井権次一統とは
「丹波の名彫物師」としてその名をはせた柏原・中井家が兵庫県丹波市柏原へ定住するようになったのは、1615〜1619年にかけて行われた柏原八幡宮・三重塔の再建がきっかけでした。その時大工棟梁としてその腕を見込まれたのが、丹後与謝郡へ派遣されていた中井家の血を引く2人の兄弟です。その後、兄の道源(法名)が柏原に残って柏原・中井家が成立したと言われています。
彫物師として活躍するようになるのは4代目言次君音から。そして5代目丈五郎橘正忠、6代目権次橘正貞、8代目権次橘正胤と、3人の巨匠が登場します。9代目貞胤(喜一郎)の頃に京都府宮津市に移住し、今はその末裔である10代目丈夫(1998年没)、11代目光夫氏が彫刻店を営み、中井権次一統の系譜を受け継いでいます。
―龍に込められた思い
中井権次一統による彫刻の特徴は、何と言っても「龍」にあります。作品の大部分が龍の彫刻で、5代目丈五郎橘正忠の頃から屋号に「青龍軒」を用いました。龍に込められた思いは強く、鋭利な刃物で刻まれたその彫刻は、他の流派の彫物師の追随を許しません。7代目権次橘正次の頃から、龍の目玉にガラス玉を使い始めたことも大きな特徴です。
―但馬にある代表的な中井作品
温泉寺(おんせんじ/豊岡市)
この寺の山麓にある薬師堂に中井一統の彫り物があります。文化10年の棟札が残っており、中井丈五郎の銘が書かれています。棟札と質、量のすばらしさから5代目正忠、6代目正貞、その弟清次良の合作と考えて良いでしょう。御堂の向拝の龍と天女の彫刻、木鼻の唐獅子と獏、籠彫(かごぼり)と称する多彩な華、本殿の多数の彫り物は最高傑作のひとつです。
[所]兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2 [問]0796-32-2669 【拝観自由】 |
満福寺(まんぷくじ/養父市)
正面の兎の毛通しの大きな鳳凰の彫刻は、今にも飛び立つような錯覚を与えます。梁下の籠彫りの兎の彫刻もユーモラスです。観音堂(大熊閣)には迫力満点の龍や獅子噛が下の梁に噛みついています。手挟みの華の彫り物もすばらしい。ここの龍の彫刻の裏面に彫物師の銘があります。青龍軒中井権次橘正貞です。
[所]兵庫県養父市十二所724 [問]079-664-0358 【拝観自由】 |
當勝神社(まさかつじんじゃ/朝来市)
拝殿には立体感のある龍の彫り物があり、その頭上では力士が梁を支えています。2頭の唐獅子が前方ににらみを利かせています。さらに屋根の上には、巨大な鬼面が辺りを睥睨(へいげい)しており、龍の背面に青龍軒の銘が印されています。建物の時代からみて、7代目中井権次橘正次の名作だと思われます。古社には、4代目中井言次君音の彫刻も見られます。
[所]兵庫県朝来市山東町粟鹿2143 [問]079-676-3026 【拝観自由】 |
大乗寺(だいじょうじ/香美町)
応挙寺として有名な名刹。客殿の虹梁の上に5、6頭の唐獅子の乱舞が目に入ります。6代目中井権次橘正貞の十八番の一つです。その背後の欄間も正貞の手になります。山門では少年が象に乗っている彫り物が秀逸です。猿、兎、鳳凰などもあり、唐獅子が首を少し左に振っているのが印象深いです。7代目中井権次正次、その相方、久須真助の銘があります。
[所]兵庫県美方郡香美町香住区森860 [問]0796-36-0602 【拝観料が必要】 |
八幡神社(はちまんじんじゃ/新温泉町)
今の社殿は嘉永5年(1858)に改築されました。社殿は全体が覆われており風化が無く、こけら葺きの立派なものです。拝殿向拝はやや幅が狭いとも思えますが目抜の躍動的な竜が素晴らしい。左下前方を睨み、宝珠を中央に、鋭い眼の後ろには朱色が鮮やかです。脇障子の天女が竜を足下にしている図は珍しく、六代目丹州栢原中井権次橘正貞、晩年の傑作です。
[所]兵庫県美方郡新温泉町久谷412 [問]0796-92-2775 【拝観自由】 |