但馬CULTURE VOL.49 日本遺産 鉱石の道


2017年4月28日、養父市、朝来市、姫路市、福崎町、市川町、神河町の6市町で繋ぐストーリー『播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道 ~資源大国日本の記憶をたどる73㎞の轍~』が日本遺産に認定されました。但馬では初の認定です。

―祝・日本遺産認定

日本遺産とは、地域の歴史的な魅力や特色を通じて文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもの。有形・無形の様々な文化財群を、地域が主体となって整備・活用し発信していくことで地域活性化を図ることが目的です。

明治から昭和にかけて日本の近代化を支えてきた朝来市の生野鉱山、神子畑鉱山、養父市の明延鉱山、中瀬鉱山。明治維新後、我が国初の官営鉱山となり、国家プロジェクトとして世界の最新技術が数多く導入された近代化産業遺産です。かつてそれらを結ぶ鉱石輸送の専用道路があり、姫路市の飾磨港(現姫路港)へと続く「銀の馬車道」に繋がり、日本の鉱業発展に大きく貢献しました。

―鉱石の道とは

このエリアは2004年に「鉱石の道」と命名され、往時を偲ぶ貴重な鉱山遺産をはじめ、鉱山町の景観・歴史・文化などが今も残っています。認定されたストーリーでは、この南北に貫く“道”にスポットを当てて紹介しています。日本屈指の鉱山群を目指すこの道は、明治の面影を残す宿場町を経て、鉱山町や各鉱山の静謐とした坑道へたどり着きます。明治時代に出現した生産から輸送・物流に及ぶ、銀の馬車道・鉱石の道は、“海と山を結ぶ鉱業コンビナート”でした。

かつて“佐渡の金・生野の銀”といわれ、江戸時代には銀の生産量日本一を誇った生野鉱山。さらに昭和期には日本の90%の錫を採掘した明延鉱山、日本の80%のアンチモンを採掘した中瀬鉱山、また戦時中に日本の85%のニッケルを産出した大屋鉱山など、様々な種類の鉱物が日本一の規模で採鉱されてきました。このように優れた鉱山群が連続する但馬は、まさに“鉱山王国”と言っても過言ではありません。

―私たちの鉱山まち

「史跡生野銀山」では、一部を観光坑道として公開。江戸時代の手掘り跡から近代の坑道を同時に見ることができ、歴史的な知識や体験、鉱員の服装や機械の変革など、時代背景に沿った紹介をしています。

明延鉱山の探検坑道では、むき出しの岩肌や地面、削岩機など、1987年に閉山した当時のままの姿が残されています。

1929年に明延鉱山で錫が発見され、その鉱石を選鉱していた神子畑鉱山は、かつて東洋一といわれた選鉱施設。山の斜面にそびえる「神子畑選鉱場跡」や巨大な円錐形の「シックナー」など、知識がなくても見て楽しめる壮大な景観が特徴です。また、選鉱場跡に佇む通称「ムーセ旧居」は、元々生野にあった官舎が移築されたもので、外国人のための洋式建築としては神戸の異人館よりも古く県内最古級。神子畑地区には、馬車道や電車軌道として使われた日本最古の鋳鉄橋「神子畑鋳鉄橋」など、明治時代の歴史が詰まった見所が点在しています。

昭和4年には明延鉱山と神子畑選鉱場までの約6キロを運行する「明神電車」が開通し、採鉱された鉱石を運搬していました。1945年からは鉱山従業員の通勤電車としても利用され、乗車料金にちなんで「一円電車」の愛称で親しまれています。

日本一大きな自然金が出る金山町として栄えた中瀬地区。まちの交流施設「中瀬金山関所」では、自然金のレプリカや当時の写真が展示されています。同施設内のトロッコ広場には、鉱山稼働時期に使用していたバッテリー機関車や「ナベトロ」(現存するものは県内でここだけ)とよばれる鉱山用の側倒車を常設しています。

―未来へ向けて

私たちのまちに残る日本遺産の文化財。地域に誇りを感じ、歴史とともに未来へ引き継いでいきたいですね。

LINK UP 日本遺産 鉱石の道

■鉱石の道推進協議会
[所]兵庫県豊岡市幸町7-11
(兵庫県但馬県民局 地域政策室 地域づくり課内)

[問]0796-26-3676
(HP)http://koseki-michi.com/

 

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