但馬CULTURE VOL.43 チューリップに賭けた人たち


「弁当忘れても、傘忘れるな」。これは但馬の変わりやすい気候を表した言葉です。特に秋には時雨が多く、大事な作物の種植えの時期と重なる農家にとって、こうした天候は悩みのタネでした。もちろん、今や但馬の春の風物詩になった「たんとうチューリップまつり」でも同じことです。

― 「弁当忘れても、傘忘れるな」

毎年4月中旬ごろに、兵庫県豊岡市但東町で行われる「たんとうチューリップまつり」。このまつりではチューリップで花を描く「フラワーアート」が行われており、制作準備に測量と絵の線引きに2日間、種植えに1日と合計3日必要になります。

3日間ずっと晴れていなければならず、担当者は「毎年、秋は胃の痛い思いをします」と語ります。それでも「お客さんの喜ぶ顔が見たい」「チューリップが一面に咲いた田んぼで、子供が走り回る姿を見たい」と、黙々と作業をこなす農家の人々。何が彼らをそうさせるのでしょうか。

―球根栽培の歴史

豊岡市但東町のチューリップ栽培の歴史は古く、昭和24年にさかのぼります。米作りの裏作として、田んぼで球根栽培が行われてきました。最盛期には30戸の農家で80万球を出荷するほど。農家の生計を支える柱のひとつとして、なくてはならないものだったといいます。

しかし、時代が平成に移ると値段の安い外国製の球根が市場に出回るようになり、出荷数は落ち込んでいきました。また、過疎による生産農家の高齢化も追い打ちとなり、栽培をやめる農家が増えていきました。

―人々の笑顔のために

そんなとき、ある球根農家から「町内で栽培している球根を、ひとつに集めて作ったらきれいだろうな」と声があがりました。こうしてみんなでひとつの集落に田んぼを借りて、球根栽培を行うことが決まり、同時にチューリップまつりの開催が決定しました。平成4年のことです。

第1回目のチューリップまつりの評判は上々でした。農家の人々は喜びを感じると同時に、「もっと人を喜ばせたい」と、自分たちの心が少しづつ変わりはじめたといいます。「ただ花を咲かせるだけでなく、チューリップで絵を描こう」。まつりの目玉であるフラワーアートは、こうやってスタートしました。

―これからのチューリップまつり

フラワーアートは、ただ絵を描けばいいものではありません。高さ5メートルの展望台の角度から立体的に見えるようにゆがみを計算し、縦70メートル、横30メートルの田んぼに球根を植えます。多くの苦労を乗り越え、1994年の4月に行われた第3回目チューリップまつりでは、初代フラワーアートの「日本列島」が、美しく花開きました。

今年で27年目を迎える「たんとうチューリップまつり」。毎年新たなフラワーアートを生み出し、訪れる多くの人々を楽しませています。球根農家の人々が咲かせた笑顔の花は、これからも力強く咲き続けることでしょう。

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■たんとうチューリップまつり
[所]兵庫県豊岡市但東町畑山

[問]0796-54-0500(但東シルクロード観光協会)
(HP)http://tantosilk.gr.jp/

 

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