但馬CULTURE VOL.35 謎につつまれた麒麟獅子舞


皆さんは「麒麟」という生き物をご存じでしょうか。中国で仁徳を備えた霊獣として崇められている空想の動物で、地に住む魔性を祓い、天空の善者を呼ぶといいます。この麒麟が舞う「麒麟獅子舞」は、但馬と鳥取の一部で脈々と受け継がれています。

― 伝説上の霊獣「麒麟」

麒麟が日本に登場するのは奈良時代で、遣唐使によって中国からもたらされた正倉院御物の象牙の尺や銅鏡などの図案に見ることができます。江戸時代になると麒麟は広い範囲で使われるようになり、徳川家康を祀る日光東照宮の陽明門、拝殿、表門などに、また京都の祇園祭の山鉾についている水引や、胴掛けにも麒麟が描かれています。

この麒麟が日本古来からの芸能である獅子舞と合体し、麒麟獅子舞が生まれたといわれています。中国に獅子舞はありません。現在残っているのは鳥取県東部地域から兵庫県新温泉町、香美町のみ。他の地域では見ることができません。麒麟獅子舞の麒麟の顔は、大きな口と鼻の穴、目の上に太い眉、立った耳、そして一本角。ユーモラスな表情で、多くの人々から愛されています。頭を獅子頭に噛んでもらうと子どもは賢くなり、大人は1年間無病息災だと言い伝えられています。

― 謎に包まれた起源

麒麟獅子舞の起源については定かではありませんが、現在残っている資料によると、鳥取藩の初代藩主が1650年に因幡の樗谿神社(おおちだにじんじゃ)に日光東照宮の御分霊を勧誘したときの祭礼行列に、日光東照宮を象徴する麒麟を頭にした麒麟獅子舞を、因幡東照宮の奉納芸能として舞ったのが始まりとされています。

鳥取に広まった麒麟獅子舞が但馬にも伝えられたのではないかといわれていますが、いつごろのことなのか何も文献が残っていません。現在香美町では「鎧麒麟獅子舞」が、新温泉町では「宇都野神社麒麟獅子舞」「居組麒麟獅子舞」「三尾の麒麟獅子舞」「諸寄麒麟獅子舞」「栃谷・田君麒麟獅子舞」「七釜麒麟獅子舞」「福富麒麟獅子舞」「和田麒麟獅子舞」「千谷麒麟獅子舞」が伝わっており、それぞれが県指定・町指定の無形文化財になっています。

―未来に繋がる舞

それぞれの麒麟獅子舞には違いがあり、新温泉町浜坂ではお囃子に「ジャンジャン」と呼ばれるシンバルのような小型の楽器が用いられますが、そのほかの地域では木槌で叩く楽器「鉦(しょう)」が用いられるのが特徴です。特に二頭舞(雌雄の舞)が行われているのは、但馬では浜坂宇都野神社と諸寄為世永神社の2ヶ所だけです。浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞は江戸中期から伝承されているもので、7月の「川下祭り」で神前で舞われた後、御輿(みこし)町内巡行列の先導として町内を廻り、家々の門前で家内安全を祈念し勇壮に舞います。祭り当日は露店が並び、花火が上がり、近隣から多くの見物人が押し寄せて、町は祭り一色となります。

また新温泉町内にある県立浜坂高校には「麒麟獅子舞サークル」があり、生徒たちが伝統芸能の継承に取り組んでいます。指導員の熱心な指導が実を結び、後継者の育成が着実に進んでいます。神秘的な美しさとおおらかさを感じる麒麟獅子舞。大陸の香りを運んでくる文化の名残を感じます。

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