但馬CULTURE VOL.85 登山家・加藤文太郎の軌跡


兵庫県美方郡新温泉町浜坂が誇る登山家・加藤文太郎は、大正から昭和初期にかけて活躍した社会人登山家です。同じ但馬出身の冒険家”植村直己”にも影響を与えました。

「単独登擧(たんどくとうはん)の加藤」、「不死身の加藤」という異名をもち、新田次郎氏の名作「孤高の人」のモデルにもなっていることで知られています。

彼の生涯について、同町内にある「加藤文太郎記念図書館」も交えご紹介していきます。

―登山家「加藤文太郎」とは


文太郎は、明治38年3月11日、加藤家の四男として浜坂の地に誕生しました。

性格はストイックな努力家で、飾らない人柄。「孤高」という言葉がぴったりな人とも言われています。

生まれて間もない頃は病弱でしたが夏は暑く、冬は寒い但馬の厳しい気候に鍛えられ心身ともにすくすくと育ちました。

登山家というだけに山のイメージが浮かびますが、海岸近くで育った彼は水泳や魚採りも好きだったようです。

―神戸から浜坂まで歩いて帰る驚きの身体能力の持ち主

小学校を卒業後、神戸へ出て造船所の製図修業生として働き始めた彼は、バスや電車で通うような長い通勤道を毎日歩いていたそうです。

仕事と勉強のかたわら唯一夢中になったのが山登りでした。
会社の人から誘われ山歩きの会に入った彼が、本格的に登山を始めたのは20歳の頃といわれています。

休日には神戸から浜坂の自宅まで約160kmもの道のりを1日で歩いて帰っていたり、通勤リュックには石を詰め、それを背負って歩くことで足腰を鍛えていたそうです。

それだけでも驚きですが、人並はずれた速さで歩く彼は登山仲間にもその名を知られるほどでした。

―異色の登山スタイル

登山は当時、案内人と荷物持ちを雇って大勢で登るお金持ちのスポーツでした。
その時代に彼は、たった一人で地下足袋に普段着、大きなリュックを背負い手軽に食事ができるよう食料は干した”小魚”と”甘納豆”という独特な登山スタイルでした。

山歩きを始めた頃は夏の山ばかりに登っていたという文太郎でしたがある時、冬に登山をしたことがきっかけで冬の山の魅力に惹かれるようになりました。それ以降は夏の間仕事に専念し、お金を貯めて休日の全てを冬の山登りに費やしたほどでした。

六甲山、氷ノ山といった兵庫県にある山を中心に、扇ノ山、日本アルプスなど数々の山を登り知識を増やした彼は、社会人登山家「加藤文太郎」としての頭角を徐々に表していきます。

冬山で幾度も凍死しかけながら、その度に生きて帰ってくる彼は、後に勇敢な人として、日本の登山界に「不死身の加藤」という異名も残すことになりました。

―「孤高の人」と言われる彼の思い

彼は鳥取と岡山の県界にある山脈に”兵庫アルプス”という独自の名前をつけていました。

当時の彼を知れる「単独行」という本の中では”兵庫アルプス登山”後、山への名残り惜しさから「また会う日まで」と帰りの電車で泣かずにはいられなかった様子が描かれています。
社会人として働く一方で、限られた時間を登山に費やしてきたストイックな姿勢に山への強い思いが伺えます。

同時に彼が一人で山へ登ることで、案内人に心配をかけたという場面について「大変申し訳なく思っている」という一文もあります。自分が好きで行なっていることで他の人を不安にさせてしまうということのギャップに複雑な思いを感じていたのかもしれません。

表舞台の彼の印象とはまた違った一面の数々には「山が好きだから」という一言では語り尽くせない彼の心の内が表されているように思います。

―最後の挑戦となった日本北アルプス(槍ヶ岳)

昭和10年、文太郎はお見合いで妻・花子さんと出会い結婚しました。
花子さんは彼の山への思いを理解し応援してくれる一人だったそうです。
槍ヶ岳(やりがたけ)※への登山は娘も生まれたことで、そろそろ登山を辞めなければと思っていた頃のことでした。

いつもは単独の彼でしたが、槍ヶ岳へは友人と登山に出かけます。
岩登りが苦手だったという彼は、友人の力を借りて頂上を目指していました。

しかし、あともう少しというところで天候も怪しくなり吹雪の中二人は遭難してしまいます。過酷な環境下の中足を進めるも、一緒に歩んできた友人が力尽きてしまい、それを見届けて再び一人で歩き始めた彼も、とうとう雪山の吹雪のなか力尽きてしまいます。

捜索隊を結成するも、悪天候が続き捜索作業は難航。
二人の行方がわからなくなってしばらくしたあと、雪が溶けた春先に彼と友人の遺体が見つけられ帰らぬ人となりました。(このエピソードには諸説あります)

ゆくゆくはヒマラヤ登山を目指していた矢先の出来事でした。

※槍ヶ岳…長野と岐阜の県界に連なる山の一つ。

―「加藤文太郎記念図書館」で辿る彼の生きた軌跡


彼の生きた軌跡は、故郷・新温泉町浜坂にある「加藤文太郎記念図書館」に残っています。
山岳図書だけを集めた閲覧室がある全国でも珍しいこちらの図書館は、階段の壁や書架の標識などに山をモチーフにした親しみやすいデザインが施されています。

大阪府豊中市の元教師・立岩照光氏(故人)が趣味で集めていたという多くの山岳図書を同町に寄贈したことがきっかけとなり現在のような特色のある図書館が建設されたそうです。

同施設2階にある文太郎の資料室は、まるで彼にほんの少し会えているような特別な場所です。
階段を上がると、中央天井から暖かい光が差し込む広々とした空間になっており、ガラスのショーケースには実際に使用していたという登山靴などの貴重な持ち物が展示されています。

穏やかな時が流れるこの空間は、今も多くの登山の同士が訪れています。
優れた登山家であった彼にも、私たちと変わらない一面があったことが知ることができ、パワーを分けてもらえる気がします。
登山好きの人も、そうでない人も一度は訪れていただきたい場所です。

LINK UP 登山家・加藤文太郎の軌跡

■加藤文太郎記念図書館
[所]兵庫県美方郡新温泉町浜坂842-2
[時]10:00~18:00
(土・日曜は17:00まで)
[休]木曜・第3火曜(図書整理日)及び
第4月曜 (いづれも祝日のときは翌日)
年末年始・特別図書整理期間ほか
[TEL]0796-82-5251
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