令和8年(2026年)に放送開始の大河ドラマ、「豊臣兄弟!」。豊臣秀吉の弟である豊臣秀長を主人公に、天下統一までを描く歴史ドラマです。今まであまりスポットが当たらなかった秀長ですが、実は但馬と深い縁がある武将のひとりです。
―大河ドラマの魅力
大河ドラマは昭和38年(1963)に初めて放送されて以来、数々の名作を生んできました。近年では歴史ストーリーに加えて、若手人気俳優の出演やその撮影地も話題になっています。
ドラマのファンが実際に足を運びその土地の歴史を体験したり、その地域の特産品や文化に触れることで地域の経済効果に多大な影響を与えることも珍しくありません。
―影の立役者、秀長
そもそも、秀長とはどのような人物だったのでしょうか。秀長は天文9年(1540)に、秀吉の異父弟として尾張国(愛知県)に生まれたとされます。元々武将になるつもりはなかったといわれていますが、秀吉が織田信長の家臣として活躍するにつれ、兄と共に信長の家来となりました。それ以来秀吉の右腕として、時には冷静な諌め役として、政務・軍事の両面で兄を支えました。
人柄も温厚で人望も厚く、「もしも秀長が長生きしていれば豊臣の天下は安泰だった」と唱える人も多かったとか。秀吉も心が許せる相談相手として絶大な信頼を寄せており、四国攻めでは総大将として活躍するなど、武将としての能力は極めて高かったといわれています。そんな秀長が但馬に大きく関わった戦として、天正5年(1577)に信長に命じられた中国攻め、そして天正9年(1581)の鳥取城攻めがあります。
中国攻めの際、秀吉は姫路城に入城し播磨の平定を行い、秀長は副将格として但馬および山陰道の平定を任せられます。山名四天王のひとりである太田垣氏が守る竹田城は、生野銀山の支配権を持つ要衝でした。秀長は竹田城落城後に城主の代理である城代として竹田城に入り、城の改修を指示しました。
竹田城は雲海に包まれる幻想的な景色が有名で、天空の城としても人気があります。過去にも色々な映画やドラマでロケ地として登場しました。
織田信長の重要な資金源だった生野銀山は、配下である秀長にとって守り抜かなければならないものでした。鉱山としては大同2年(807年)に銀が出たと伝えられ、天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊が銀石を掘り出し、開坑の起源となったといわれています。信長亡きあとは秀吉の直轄となり、その後は徳川家康により但馬金銀山奉行が置かれ、天領として徳川幕府の財政を支えました。
現在は、現代坑道と江戸時代の坑道を同時に見学できる貴重な史跡となっています。年間を通して約13度に気温が保たれているので、夏は涼しく冬は暖かく、観光しやすいのも魅力です。
鳥取城制圧を目指すため、天正8年(1580)に再び但馬攻めへと乗り出した秀長。有子山城を落とし、戦後は但馬国を統治し、山城だった有子山城の石垣を改修させました。
山頂まではちょっとした登山コースとしても人気があり、ハイキングにもおすすめです。有子山城がある豊岡市出石はそばが有名ですが、出石そばのルーツとされる出石藩主の仙石秀久も実は秀吉の最古参の家臣だったといいます。何かと豊臣兄弟とゆかりが深い場所ですね。
但馬では他にも、豊臣軍に関する逸話が昔話として多く伝わっています。足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。
LINK UP 豊臣秀長ゆかりの地
| ■あさごツーリズムビューロー(旧朝来市観光協会) [所]兵庫県朝来市和田山町東谷213-1 西館2F [HP]https://asago-kanko.com/ ■但馬國出石観光協会 [所]兵庫県豊岡市出石町内町104-7 [HP]https://www.izushi.co.jp/ |














