10/25(土)・10/26(日)「第17回大石りくまつり」開催
10月25日(土)、26日(日)にかけて、「第17回大石りくまつり」を開催します。
「豊岡市」は、忠臣蔵で有名な「大石内蔵助」の妻「りく」の生誕地です。
夫である内蔵助の明かせない心中を理解し、討ち入りを陰で支えた「りく」、わが子を守り三男「大三郎」を広島・浅野家に仕官させ、その行く末を見届けた「りく」。
妻として、母として生きた「りく」の人となりを顕彰するとともに、豊岡を多くの方々に知っていただきたいとの思いから、これまで多くの市民の方々にご協力をいただきながら続けています。
第17回大石りくまつり
25日(土)には、「りく女追悼法要」、「りくゆかりの地めぐりバスツアー」を、26日(日)には、豊岡市役所前市民広場をメイン会場に、「ステージイベント」、「屋台村」、「協賛事業」、「市中パレード」などを開催します。
また、りくのゆかりの地を巡るスタンプラリーなどもあります。 詳しくは下記のチラシをご覧ください。
当日、会場周辺には駐車場がありませんので、公共交通機関をご利用いただくか、周辺の有料駐車場をご利用ください。
会場の豊岡市役所は、JR豊岡駅から徒歩約10分です。市役所の北駐車場、東駐車場は利用できません。
26日(日)には、「りくゆかりの地めぐりウオーキング」を実施しますので多数ご参加ください。
「りく」は、寛文9年(1669年)の生まれですが、これは京極高盛が京都府田辺(舞鶴市)から豊岡に移封された寛文8年(1668年)の1年後になります。
りくの祖父、石束源五兵衛毎術(つねやす)もこれに従ってきました。
京極高盛は、藩の財政安定のため「やなぎごおり」の生産に力を入れ、藩財政の安定に努めました。家老職の毎術もともに尽力したことと思います。
「豊岡市史上巻」によると、毎術の孫にあたる「りく」の兄毎明(つねあきら)は、父・毎公(つねとも)を継いで家老職に就きますが、享保の減知により京極藩が3万5千石から1万5千石に減封されたことに伴い、享保12年(1727年)に、禄が1200石から500石になりました。
このため、毎明は率先して質素倹約と産業振興に努め、「やなぎごおり」の生産と販売により一層の力をそそいだ、と記述しています。
「石束家」をとおして、「りく」と「やなぎごおり」、これから発展する「豊岡のかばん」と、その思わぬつながりが見受けられます。
「大石りく」について詳しいことは、「豊岡観光こばなし」のページをご覧ください。 豊岡観光協会の「フェイスブック」ものぞいてみてください。
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