ネズミの殿様・斎藤隆夫


 『夢但馬2014』事務局です。
8月6日も過ぎ、明日は9日。静かに心に思い出したい但馬の偉人がいます。

「もうよい!」「要点を言え、要点を!」
「政党は何をした!」「黙って聞け!!」
日中戦争が始まり(1937年)、国家総動員法が発令(1938年)され、日本が軍事色に染まりつつあった1940年(昭和15年)、ヤジの飛びかう緊張した国会議事堂で、軍国主義に毅然と異議を唱えた小柄な政治家がいました。豊岡市出石町出身の斎藤隆夫です。

「・・・まず第一に・・・、寸時も忘れてはならぬものがあるのであります。それは何であるか、他のことではない。・・・過去2年半の長きにわたって我が国家国民が(戦争によって)払いたるところの絶大なる犠牲であります。・・・・・・いずれの時にあたりましても、戦時にあって国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります。・・・この不公平なるところの事実を前に置きながら、・・・国民に向かって緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら、国民に向かって犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない!・・・・・・」
ちょっと固くるしいかもしれませんが、演説から少し抜粋して引用しました。

徹底して暮らしの視点から国民を守ろうとした斉藤隆夫は、この演説により、衆議院議員を除名されます。そのとき、彼は漢詩を引いて「私の声は日本国民の声だ」と言ったと伝えられています。地元出石の方は、今も深い愛着と尊敬の念を持って「ネズミの殿様」と呼びます。(K)