但馬CULTURE VOL.20  日本遺産に認定!鉱石の道探訪


姫路市、福崎町、市川町、神河町、朝来市及び養父市の6市町による「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」が、2017年4月に日本遺産に認定されました。その中でも生野鉱山、神子畑鉱山、明延鉱山、中瀬鉱山からなる「鉱石の道」は、明治から昭和にかけて日本の近代化を支えました。

― 日本を代表する鉱山王国 但馬

 大同2年(807)に開坑したといわれ、1,200年の歴史を誇る日本有数の銀山、生野鉱山。産出した銅が奈良の大仏鋳造(752年建立)にも使われたとされる明延鉱山など、兵庫県北部の但馬(たじま)地域には、日本の歴史上において重要な鉱山が点在しています。

これらの鉱山は時の権力者の財力となり、江戸時代には佐渡金山(新潟県)、石見銀山(島根県)とともに幕府の財政を支えました。江戸幕府は生野、佐渡、石見に奉行所を置いて、鉱山開発に力を入れました。江戸時代前半、日本で産出された銀は世界の3分の1を占めたといわれています。

― 信長・秀吉・家康 天下人の宝物

 生野に伝わる『銀山旧記』によると、天文11年(1542)に但馬守護・山名祐豊が、当時の最新技術を用いて採掘を始めたと記されています。但馬の金と銀は権力者たちにとっての御金蔵でした。織田信長は永禄12年(1569)、木下(豊臣)秀吉に命じて生野銀山を制圧。安土城を築くのは7年後であり、戦略的に重要な施設が生野銀山でした。

豊臣秀吉が全国の金山や銀山から納めさせた運上(営業税)の記録では、銀山では但馬国が全国第1位、全国の83%を占めています。金山では但馬国は第6位で、主に銀は生野銀山、金は中瀬金山(養父市)です。また、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、但馬の鉱山を直轄地とし、生野奉行の間宮直元に命じて、生野の銀山開発に力を入れました。

― “ここ”から始まる 近代化日本の幕開け

 明治政府は近代化を先導する模範鉱山として、生野鉱山を日本初の官営鉱山としました。明治維新後、日本初の官営鉱山となった生野鉱山、神子畑鉱山(朝来市)、明延鉱山(養父市)は、西洋の進んだ鉱山技術を導入するためフランス人技師を招き、近代化の模範鉱山の第1号として日本の近代化を牽引してきました。

特に生野鉱山は、日本初の最新技術が数多く導入されました。機械式製錬技術や本格的な火薬による発破法の他、鉱業用送水路やダムの建設、トロッコ軌道(鉱山鉄道)の敷設、日本最初の鉱山学校の設立など、近代化日本の鉱山開発はまさに“ここ”から始まったのです。

― これからの「鉱石の道」

 これらの鉱山のエリアは平成16年に「鉱石の道」と命名され、平成19年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されました。そして日本遺産となった「鉱石の道」では、今も残る鉱山遺産とともに鉱山町の景観、歴史、生活、文化など様々な地域の姿を体感することができます。日本の鉱山史を丸ごと学べるこの貴重なエリアに、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

LINK UP 鉱石の道

■鉱石の道推進協議会
[所]兵庫県豊岡市幸町7-11 [問]0796-26-3676
(HP)http://koseki-michi.com/
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